合唱団わをん

『田中達也合唱作品個展』

合唱団わをん プロジェクト#03

『田中達也合唱作品個展』

◆混声委嘱作品のヒ・ミ・ツ①

 ――田中さんが作品に「組曲」と名付ける時には、同じモチーフやテーマが使われているなど音楽的な関連性を与えますよね。今回の作品について、ネタバレにならない程度に種明かしをしてもらえますか。

田中 今回の組曲の仕掛けで一番大事にしたのは、闇と光、つまり、一楽章と三楽章の対比をどう表現するかでした。たとえば一楽章で、闇の象徴のように、暗い影の部分として示されたテーマが、この<雲は低く大地を飛び 裸木は風の洪水にもまれて折れ曲がる>というところなんですが……。

 ――ああ、そのフレーズ、三楽章では、<黒い雪が一面にふる>のところで再現されていますね。

田中 いや、そこは「ちょっと思い出してもらう感じ」。むしろ大切なのはピアノの音の方なんです。闇を表現しているような、<雲は低く…>からの第一ピアノの節回しを終曲では明確に長調の響きのフレーズとして再現しています。<五線譜のような指…>のあたりの第一ピアノがそうです。前者はG-moll。後者はH-dur。 闇のフレーズが、光のフレーズとなって再現されるんです。音楽がここで開放されていく。

 ――開放、ですか。

田中 はい。詩「光のかたち」は合唱曲としては破格に長いテキストです。三楽章だけで演奏時間は8分近くになります。でも僕は今回、あの詩を音楽で描ききることがやっぱり必要だと考えました。そして最後は演奏者も、聴いてくださる方々にも、何か納得してもらいたかった。そういう意味での「開放」です。終曲としての「救い」のようなものを求めたかったんです。だから、三楽章の最後の最後に、一楽章の冒頭のピアノ前奏の短調の響きを長調で再現しているんです。テンポもわざわざ一楽章冒頭の「四分音符=76」で3拍子に戻しています。3拍子が戻ってきたことなんて、もしかしたら、譜面を見ているわけではない聴き手には気づいてもらえないかもしれない。それでも低いピアノの和音と高いピアノの和音の連弾の響きが、最後に光に満ちて戻ってくるんです。だからこそ、そこに至る<ぼくは高い声で歌いだす…>からの最後のセクションはずっとしなやかであり続けたい。しなやかでありたい、という思いで書きました。

 ――まさに、詩の世界に違和なく〝音楽の家〟を建てようとしたわけですね。 

 

◆混声委嘱作品のヒ・ミ・ツ②

 ――では、二楽章「海が満ちてくるとき」についてはどうですか。個展ではアルトパートで歌う田中さんの奥様は今回の作品の中でも「二楽章を歌って、『あひるさんの新境地の音だ』と感じた」と言ってます。

田中 二楽章はさっきも言ったように「変わらないもの」を音で表現しました。一楽章はもう、途中の<おびただしい薬品や 電化製品>あたりから調性が次々とぶれて、<時代のカタストロフを予感して>の部分では完全に複調が出てきて、いくつかの調が交錯します。しかし、二楽章は一切そういうことはしない。明らかにわかる転調は、A-mollからA-durの近親調への転調だけ。曲の構成は、最初はパートソロ、そこから女声と男声の交唱になって、その後、「私の先祖だった魚は」で全パートが同じ動きをする。ここは短調ですが、バスのEの保続音によって和声がひずんでいく。で、「海の本流に参加する」というところで、ディミニッシュの和声……。あまり明かすとネタバレになるので、ぜひ、演奏を聴きにきていただきたいです。

 ――田中さんはとても大事にしたいところにものすごく説得力のあるユニゾンを持ってこられるでしょう? 今回はどうですか。

田中 もちろんユニゾンの使い方も工夫しています。今回は三楽章の方でより多くユニゾンを使っています。三楽章にはユニゾン以外にも、パートソリも多く出てくるし、アカペラの部分もある。これらはすべて、第三楽章で「人間の声のもたらす何か」を表現したかったからです。

 ――人間の声のもたらす何か?

田中 はい。三楽章の詩「光のかたち」は、光といっても単にひたすら明るいわけじゃない。明るい音楽が常に流れているわけじゃない。むしろ暗い闇の部分が何度もやってきます。それでも、何があっても、人間の声のもたらす何かを最後は信じたい。やっぱり、人間を信じてみよう、というような音楽にしたかったんです。

 ――「闇」から「光」への強い思い、ですか。それってまさに、田中さんのもとに届いた、作詩者の原田勇男さんからの直筆のお手紙にも通じる気がします。

田中 はい。こちらから完成した楽譜をお送りした際にいただいた原田さんのお返事のお手紙には、3つの詩について、それぞれどんな思いで書かれたかが綴ってありました。それによると、「光のかたち」という詩は原田さんが24歳の時に書かれた作品。<夜から朝へ、闇から光へ、閉ざされた日常から非日常へ脱却しようという強い思いがこの作品を書かせた動機です>と書いておられました。

 ――原田さんのお手紙で、詩についてのご説明をご覧になって、「ああ、やっぱり!」と「ええ! そういう意味だったの?」と両方の驚きや感動があったんじゃないかと思うんですが、どうでしたか。

田中 両方ありました。「やっぱり!」の方は、詩「光のかたち」。<かぎりなく地下をはしりつづける>という詩句がありますが、これは何なんだろう、と。僕は<地下をはしる>という言葉から、何かしら文明的なもの、文明社会の象徴かな、と受け止めていたのですが、原田さんのお手紙によると<地下鉄のめまぐるしく動く黒い壁を見ているうちに、心の中で言葉がうごめきはじめ、帰宅して朝までかかって一気に書き上げた>のだそうです。なるほど、地下鉄だったのか、と。僕の読みが、原田さんの思いと同じ方向を向いていたと知り、うれしかったです。一方、意外だったのは、二楽章の詩「海が満ちてくるとき」の最後にある<魂の滴を売りにいく>です。

 ――ああ、まさに、この作品のきっかけとなった詩句表現ですね。

田中 はい。僕の中で<魂の滴>は「生命の始まりの海の一滴」という解釈だったんです。ところが原田さんのお手紙によると、<最後の一行は約四十年、スポーツ業界誌の記者・編集長を勤めてきたので、その思いがこみ上げて書いた詩句>と。もちろん原田さんが出版業に従事されていたことは知識として存じ上げていましたけど、えええっ! そうだったのか、と。だから「売りにいく…」なのか、と。実は人間と人間とのぶつかり合いを表した詩句だったのだと知って、それはそれで深く感じました。

 

   

◆女性委嘱初演作品

 ――最後に、個展で委嘱初演されるもう1つの作品『女声合唱とピアノのための わたしの水平線』についても教えてください。曲集の6曲全部、どれも個性的で魅力的です。もう黙っていてもあちこちで愛され、再演される気がします。

田中 実は今回、個展で指揮してくださる野本立人先生から「長く書くな、音を多く書くな」と助言をいただきました。だから今回は女声3声でDivisiも一つもないんです。どんな合唱団でも、あるいは、たとえ3人であっても、歌えるように書いています。また、僕の合唱作品の中では、終曲に対する新しい折り合いの付け方を試した作品でもあります。6曲目の終曲はドリア旋法の組み立て。最後は短調のまま、するっと、さり気なく終わっています。僕の作品ではこういうのってわりとないと思います。

 ――今回の個展で委嘱初演する女声と混声、2つの作品を見比べてみて思ったのは、「女声作品はここまで歌い手に寄せて書いたのだから、混声はもう、僕の好きなことをやるぞ」という決意表明みたい、ということでした。3楽章構成の重厚な混声と、6つの個性的で短い小曲が並ぶ女声と。

田中 確かに、ある意味そうなのかもしれませんね。(高橋順子さんの、付箋紙のついた詩集を取り出して)この高橋さんの詩集、よく見ると詩ごとに書き出しの高さが違うんです。言葉を印刷することでできる文字の「水平線」がページごとに違うわけです。まるで、詩集の中で「水平線がたゆんでいる」感じ。だから今回は、曲集のタイトルを「わたしの水平線」としました。

 ――この詩集、随分と付箋がついていますね。1、2、3……10作品くらいに付箋がついています。

田中 その付箋は僕の「第一選考」なんです。その10作品くらいを、まず全部コピーして部屋に全部並べる。で、最終的なテキストを選ぶんです。僕はテキストを選んだ瞬間に曲順まで決める。だから、10曲くらいから6曲を選んだ時にはもう、曲順まで決まっていました。

 ――ところで今回の個展、田中さんはご自分でも歌いますよね。作曲家の作品個展でここまで作曲家がフル参加で「歌う」というのは、あんまり聞かない気がするんですが。

田中 いや、フル参加ではないです。僕は女声作品は歌いませんから。(大まじめに)

 ――それは分かってますってば!(笑)

田中 でも、確かに、珍しいと思います。個展の男声作品と混声作品の両方では全部歌いますから。作曲家が少し指揮するとか、ピアノ伴奏をするとか、音楽をリードする方向で参加することはあっても、一団員として歌に参加……というのはきっと珍しいことですよね。

 ――ええ。作曲する一方で、自ら歌い続け、その先にどんな景色が見えるか……という田中さんの姿勢そのもの、といった個展になりそうな気がします。最後に、個展に向けての意気込みを聞かせてください。

田中 今回の個展は、自分が今まで「何を見てきたか」だけではなく、その先に広がっている「これから何が見えるか」を一緒に感じていただけるものになっています。2ステージ委嘱初演や全ステージ合同演奏など、こういったスタイルの演奏会ではあまり見ない要素も詰め込んで、今だからできる目一杯のことを考え、広げてみました。音楽は書いて、演奏して、聴いてくださって、それを共有できる人がいないと完成しません。「共感すること」から始まったこの演奏会、ぜひその一員として聴きに来ていただければと思います。

 (2019年2月21日、田中さんの大好きな居酒屋「日本海」にて)

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