合唱団わをん

『 四人のディベロップメント 』 ~ 連作組曲 参加作曲家による座談会 ~

合唱団わをん第1回演奏会にて全曲初演された『長田弘の詩による連作組曲 四つのディベロップメント』

当プロジェクトに参加した四人の作曲家にお集まりいただき、お話を伺いました。

※組曲完成前に開催し、演奏会のパンフレットに収録したものを再掲しております。

司会:三好草平  2016年 8 月29日 新橋の会議室にて

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左から、森山至貴さん、魚路恭子さん、名田綾子さん、田中達也さん。

1.合唱経験について

三好 本日はありがとうございます。それぞれの合唱経験をお伺いしていいですか。魚路さんは?

魚路 高校からはじめたものの少人数の弱小部で当時はピアノを弾くことが多く、本格的には大学から院卒まで「S.P.P.」「ひぐらし」と順に在籍し、就職とともに東京を離れたのでそこからは自分で歌うということはしていません。

三好 森山さんは?

森山 中学校の時は「昼休み合唱団」。3 人しかいなくて僕が男声パートを歌いながらピアノを弾く、3 人のうち 1 人は音楽の先生みたいな感じで。で、高校(神奈川県立多摩高校)では合唱部に入ったのですが、大学では入らなかった。高校で燃え尽きて「もういいかな」と。もう一回新入生扱いされるの嫌だなって(笑)。「1年生でしょ、初心者だよね?」って言われるのが嫌だった。

三好 「違います」て言えば?

森山 ピアノ弾いたり指揮振ったりばかりしていて。あまり自分の歌に自信がなかったので。「もう歌はいいや」って思って。

三好 名田さんは?

名田 私は殆どやっていないに等しいです。高校が音楽高校だったので授業で合唱をやるということがあってそこでミサや日本の合唱曲を歌ったり。ソルフェージュ的には皆できるので譜読みは速いけど、そこまで深めることはないかなという感じでした。

三好 田中さんは?

田中 僕は中学校からです。森山さんの昼休み合唱団とちょっと違っていてクラス合唱のパートリーダーを育てるというような合唱団だった。「パートリーダー合唱団」とか言っていました。

三好 各クラスから代表が?

田中 何人か出て歌うみたいな。日本の合唱組曲とかクラス合唱のちょっとハードなレパートリーを歌っていました。高校は合唱部がなかったのでオーケストラでヴァイオリンを弾いていました。しばらく器楽のほうに傾倒していた時期があったんですけど、大学では合唱団があったので入って。卒業してからしばらく合唱はやってなかったんですが、うちの妻が妻になる前に(笑)テノールが足りないので来てみたらと誘われて「合唱団ひぐらし」に入りまして、それで入って最初に歌ったのが魚路さんの『愛について』(2010年 7 月改訂版ステージ初演)という作品です。

三好 ご一緒だった時期がある?

魚路 いえ……既に沖縄赴任時でしたので、たまたま行った練習で「田中さんという良い作品を書く方もいらっしゃるんですよ」と伺ってそこで顔を知りました。

2.初めての合唱作品について

三好 初めての合唱作品についてお聞かせいただけますか?

魚路 古典的なものしか歌っていなくて、團伊玖磨さんの『筑後川』を全パート暗譜で歌える、みたいな……。

三好 全パート!?(笑)

魚路 弱小部の音取要員の結果です。その後、物足りなくて自分で作品を探し始めた時に三善晃先生の作品にハマって、特に『あなた』を 1 年間毎日 3 時間くらい正座して聴いている時期を経て、私の中で三善先生はバイブル的な崇拝している存在です。そんな頃合唱を書き始めて……最初の作品は何だったか覚えてないんですが。

三好 それは賞に出すとか縁のある合唱団から頼まれて書いたとか?

魚路 賞には何度か出しているんですけど、「あわよくば音になったらいいなあ」という動機からです。委嘱を頂いて書くのでなければなかなか音になるチャンスもないし、友達もいないたちなので(笑)、知人に演奏してもらう伝手もなかなかなくて。

三好 森山さんは?

森山 中学校の頃は吹奏楽部員だったのもあって吹奏楽の譜面もどきみたいなものを書いていました。高校の合唱部に入ったのをきっかけに譜面を書きはじめました。そのことを当時の恩師に漏らしたら「朝日作曲賞というのがあるから応募してみなよ」とそそのかされて実際に応募するようにもなりました。

三好 つまり岩本達明さんにそそのかされて?

森山 本当に応募するかどうかわからないくらいのつもりでおっしゃったと思うんですけど。

三好 名田さんは?

名田 中学の時に校内の合唱コンクールが盛んで、毎年クラスで学級歌を作るんです。クラスにどんな人がいるかわからないけど曲も詩もそのクラスのメンバーで作るのが学校の伝統としてあって、私はピアノの曲などは小さい時から作っていたのでそういう機会に作る役割になっていました。あとは洋楽とかを合唱に編曲して皆で一緒に歌っていて。高校では文化祭とかで合唱する時にアレンジしたりしていました。大人になってから合唱曲を書き出したのははこの5 、6 年くらいで、愛知の児童合唱団との繋がりで日本の曲の新しいアレンジを書いたのが合唱の世界の第一歩で。その合唱団のために児童合唱の組曲をオリジナルで書いたり、大人の混声では『いのち』という作品を2014年に書きました。

三好 田中さんは?

田中 もともと音楽を作る方面はいわゆるデスクトップミュージックで、高校の時にMIDI音源、当時はまだハードウェアの音源を買ってきてPCにつないで鳴らすみたいな時代だったので。それを買って音楽づくりみたいなものを始めたのが最初です。本格的にやってみたいと思ったのも、そこからもっと自由になりたい、専門の先生について勉強してみたいと思って。高校でオーケストラをやっていた時に有志の発表会で弦楽四重奏とか室内の作品を作って発表したりすることはあったんですけど、合唱曲を作るようになったのは大学に入ってからです。混声合唱団 に入って「音楽科だよね?だったらアレンジとか作ってみる?」と先輩にそそのかされてアニソンを編曲していたところから合唱の譜面を書くことが始まって。オリジナルの最初の合唱作品はたぶん大学 1 年の時に書いた「甃のうへ」。三好達治のテキストで混声合唱の曲です。

三好 それは何用に書いたの?

田中 自主的に書いた作品です。結局演奏されることなく……。

三好 機会があれば世に出してもいいと思っている?ちょっと今では出せない?

田中 後者です。今だともうちょっとできることがあるかな。

三好 なるほど、ありがとうございます。

3.連作組曲プロジェクトについて

三好 連作組曲という珍しい企画ですが。「わをん」という合唱団は企画を面白いと思える人が集まって一緒にやろうということで第一シリーズでは田中さんの『レモンイエローの夏』という曲集を完成させる目的でやって、次はどんな面白いシリーズができるか田中さんや団長の矢ヶ崎さんや技術メンバーの原田さんと話をする中で「複数の作曲家で組曲を作りましょう」と田中さんが言い出した。

田中 複数の作曲家で一つの作品を作る試みはすでに合唱でも行われています。ただそれが一つの連関を持ったものになるかというと、曲を作る時に一斉に走り出してしまうので、もうちょっと突っ込んだものがあっても面白いんじゃないかと思ったのがきっかけです。具体的なアイディアを詰めていく中で、前の曲からの引用を自由にするとか、組曲の何番目に来るということで曲の方向性がある程度決まっていくとか、構成をかなり意識したものにしようという話が生まれたんです。作曲家の人選ですが僕が言い出しっぺなので書くのは当然として、わをんとのつながりの中で森山さんの名前は自然と出てきた。魚路さんの名前が出たのは原田さんからだったと思います。その 3 人が出てきたところで僕が「もう一人、名田さんはどうか」と。たぶんお互いの感触で、この人と一緒だったら絶対に面白くなるというところを 4 人で話し合って決めていった。

三好 僕自身、以前から魚路さんの作品を友人からお勧めされたりして。名田さんは田中さんとThe Premiereで一緒?

田中 一緒でした。2014年。

三好 男女両方いたほうが面白いだろうと。男性が 2 人ならあと 2 人は女性で 4 人というのがバランスいいかなということで始めて……。で、言い出しっぺが組曲としてどうまとめるか最後責任を取りなさいよと、田中さんが 4 番目。そうなると女性男性女性男性の順番がバランスいいかしらと森山さんは 2 番目。魚路さん名田さんどちらに 1 番目を書いてもらおうかという中で魚路さんが何となく面白いんじゃないかという意見でこうなった。この話を受けた時の率直な感想を……。

森山 自分が何番目なのかが一番気になりました。組曲だとそれぞれ役割があるじゃないですか。何を期待されているのかは何番目かに強くあらわれると思ったので。順番が分かって「魚路さんの曲が来てから考えよう」と。こういう曲を書こうというコンセプトはあらかじめ決めるべきではないと思いましたし。メンツはそれぞれの作品を知っていたので「なるほど、面白そうだな」と思いました。「なんとかなる」っていうと変ですけど「何か生まれるよね」って。

三好 どんな感じで受け止めたのかな。単に 2 番目と、「魚路さんの後」の 2 番目と。

森山 「魚路さんの後」の 2 番目っていうことをどう考えたか?

三好 そう。

森山 魚路さんがどういう曲で来るのかということが結構気になった。2 曲目は 1 曲目よりエネルギーを上げるべきか下げるべきか。こっちは一回引いて起承転結の承にしなきゃいけないのか、起“転”転結にしていいのか。

魚路 「私が 1 番目だって」って友人に話した時に「危険分子は最初に置いとくのがいい、何をやるかわからない人が最初だったら後始末できる」と言われて……。

三好 なんて言い方(笑)。

魚路 そういうことかー(笑)と納得。自分の曲だったら最終的に自分が責任を追えばいいけどそうじゃない時はほかの人とやることへの責任がある。私なりにこの走順で皆さんに最上のものを提供する・貢献するにはどうしたらいいかと悩みました。自作の時は 1 番って打上げ花火的なキャラが強くてぱっと終わるのを書くことが多いんですが、今回は組曲発表の前に一作単独でまず発表の機会がある。たいがい初演の曲があると目玉のように扱っていただくことが多いのですがそれが30秒で終わったとしたら悪いかなあと思って、短いのはダメだ! となった。尚且つ、これだけヴィヴィッドな企画だから奇抜な事をやって興味を引くのも 1 番の役目かなと。そこら辺を加味して「にゃ〜」が出てきたんですがイロモノで悪目立ちしたいわけではないので、本質にはシリアスなものをと思っていた。そんな作曲当時、安保条約で世相が揺れていたり終戦記念日を迎えたりしていて“平和って何?”という詩の一節が気持ちと曲とでリンクした。それでコミカルとシリアスが混在しつつ、後の走者のために更に色々な要素を入れておくべきとも思ったので、動的な部分、静的な部分、アカペラ、ブルース……と、思いつく限りを色々入れて1曲にまとめました。

名田 私は合唱の作曲を始めたのが最近で、同世代の方々と一緒にやる機会って初めてなので声掛けていただいたことにすごくありがたいなと思って。チャンスがあったら何でもやってみたいと今思っている時期なのでぜひ、っていう感じでした。魚路さんは大学の先輩でお名前はよく存じ上げていて作品も少し聴かせていただいたり。森山さん、田中さんは合唱の作品を聴かせていただいていたので。私は 3 番目で少しほっとした部分はありました。最初だとどう出るか難しいし、それは先輩にお願いして。最後は田中さんがまとめてくれるっていうのもあって。 3 番目は 1 発 2 発の後を受けて最後につなぐ役なので、何となく出方をうかがってなるようになるというか流れに任せて、緊張するけど楽しみだなあと思って。

三好 皆さん順番による役割を大きく考えていらっしゃる。この順番でなかったら何番目がやりたかった? 魚路さんに 1 番目をお願いしたのは色々な制約がある状態よりも一番プレーンな状況が魚路さんの魅力を引き出せるんじゃないかと思ったんです。 1 番でなければ何番をやりたかった?

魚路 人が何を書いているかあまり気にならないのと、自分は自分の音楽を書けばいいのかなと思っているので何番でもいい……と思っていましたが、こういう大雑把な性格なのでやはり 1 番が書きやすかったと思います。どこらへんに投げるかというのは悩みましたがやっぱり自由を与えられているのは私にとってはありがたいことでした。

三好 森山さんは?

森山 面白そうなのは 4 。大変そうなのは 3 。面白そうなのは 4 っていうのは自分で考えなくても3 人分の音の蓄積があるから。アイディアがたくさんあって使い放題というのはそれはそれで面白い。 3 はすごくつらそう。だって自分でクライマックスを作っちゃいけないけど 1 や 2 でやったことはできない。

名田 そうですね。

森山 だから一番不自由な状態で書かなきゃいけない。

三好 不自由を与えられた名田さんどうですか?

名田 確かに 1 、 2 曲目でやっていたことじゃないことをやらなきゃいけない、でも自分で完結させてもいけないという思いはずっとありました。

三好 3 番でなければどこが楽しそうだったかしら。

名田 いやあ……今回は 3 番で良かったかなと思います。今回はこの役割を経験して、将来的にまたこういう企画があったなら、違う役割もやってみたいですね。

三好 田中さんは言い出しっぺだから最後にまとめなさいで 4 番だったけど、そうじゃなかったら?

田中 僕は実は 3 番目が書きたかったんです。

森山・名田・魚路 へええええええええ。

田中 自分の作るスタイルと関係しているんですけど。僕は終曲 1 個前にわりと自分の気分が一番乗るスタイルの曲を書くことにしているんです。幾つか書いている中でそれがポジティブな方向で発散されているのが『ミライノコドモ』という組曲の 4 曲目「子どもと本」という作品です。また『風の吹く日に』という混声合唱とピアノのための作品の 3 曲目「春に降る雪」。逆にネガティブな方向で出たのが『シーラカンス日和』の男声組曲の 4 曲目「烏唄」。どんな状態であれ自分の気分が一番乗りやすい直球をあえてここで投げるスタイルを取るので。 1 、 2 で来た方向性を見ながら、そこを避けつつも自分の気分の一番乗るスタイルで書くというのが 3 曲目は一番できそうだなと思ったので。

森山 田中さんに 3 番目書かれたら 4 番目の人は胃が痛すぎるでしょう……。

三好 自分の気分の一番乗った曲をうわーってやられて、えっ最後これをまとめるの?てなるもんね。

4.組曲の定義について

三好 皆さんそれぞれの中での「組曲」の定義をお聞かせいただければ。たまには後ろから聞きますね。田中さん。

田中 それ以外の作品がそうでないということではないのですが、「組曲」という作品の方が各曲の要素や主題を使い回している率が高いですね。曲集とか「○○とピアノのための」とつけている作品に比べて、主題の使い回しやテクスチュアの引用をやっている率が高いものが「組曲」。自作で説明すると『レモンイエローの夏』という混声の曲集とその表題曲を女声合唱にトランスクリプションして組曲に仕立てた『桜の花びらのように』という作品があるんですが、これは明らかに組曲として成り立たせるために「レモンイエローの夏」のフレーズを色々なところに使い回して主題の出し方に関連付けしたりしています。

三好 書く前から「これは組曲にしよう」とか? 1 ステージお願いしますと言われた時に、結果的に組曲ってタイトルつけるべきだなと思うものになる?

田中 全体の設計図を引く時に自分の中で曲集か組曲かは分かるようにしています。

三好 名田さんは?

名田 合唱の場合は詩があって全体として何が言いたいか、曲の順番もすごく大事だと思いますし、全体を通して何かメッセージを伝えることを考えていて。組曲は一貫して何かを言うための流れがある。今回 4 人で書くということで「全体として何が言いたいか」が決まっていないまま組曲を書くのはなかなか難しいと思ったんですけど、お二人が選んだ詩の内容から次に選ぶ詩をすごく考えました。

三好 二人の詩が並んだ時点で、幾つかの共通点や方向性の中でどれを選択するのかなと。

名田 曲のつながりがすごく大事だと思ったので。各曲の終わり方や始め方というのが、組曲だとアタッカでつながる曲があったり完全に切れて間を置いて始める曲もあったり、全終止しないで終わってそのままつなげるような曲もあったり。私は 4 曲目へのつなげ方をかなり悩んで。田中さんがどう始めたいかなと。どういう詩を選ぶかなと。

三好 ある面、 4 を先にある程度手をつけてもらって 3 をはめ込むのは、組曲としての成立度合いはとても高くなると思う。 3 曲目の役割ってたしかにあって、だからこそ「 3 曲目が嫌だ」って森山くんが言ったのもよく分かるな。森山くんは?

森山 僕の中で組曲というのは全曲を順番入れ替えて演奏したら意味がなくなる曲です。テーマは同じでなくてもいいけど。この順番でやらないと意味がない、順番を変えると曲がダメになっちゃう。単曲を除くと自分が今まで書いた曲の中で組曲でない曲はない。順番を入れ替えてもいいコンセプトで書いた曲は一曲もないので。順番がすごく大事。順番が入れ替わらない、入れ替わると通す必然性がなくなるような曲ですかね。

三好 魚路さんは?

魚路 そういう風に見ると曲集を書いたことはない……になるのかな? 森山さんがおっしゃるのと近いんですけどまとまりで何かを表現することを想定すると、曲集として出すことはない。森山さんと大きく違うと思ったのは、並び……音楽というのは絵と違って時間の流れが決まっている以上、最初にあるものを後で必然性を出すために書いていくというのは大事な作曲上の役割だと思っていながら、でも、演奏会開催して、私が第 2 ステージやらせていただく、第 1 ・第 3 ステージに何が来るかわからない時に、第 2 ステージが完結していても、第 1 ・第 3 ステージに来るものによっては第 2 ステージの曲順がその順序じゃないほうがいいってこともあるかもしれない。まとまっていることは想定されているけど順序はフィックスでなくてもいいように書きたい。たとえばクレシェンドで終わるのがかっこいいからばーんと終わる組曲を好んで書くかもしれないけど、もしかしたらフェイドアウトして終わったほうが後のステージの流れに良い場合もあると想定して色々なカラーの曲を入れておいて、聴いてくれる人にとって最も素晴らしい時間になるようカスタマイズできればそれはそれでいいなと。私自身が大雑把でテキトーというのもあるのですが、いい意味で遊びや柔軟さを作品に持ちたいなといつも思ってます。並びに必然性があるってことをすごく尊重していながらもそれが絶対とは思わないし、遊びのある曲を書きたいと思っています。

5.長田弘について

三好 テキストは長田弘さんのものに指定しました。「わをん」という合唱団は長田弘さんのテキストによるNコン課題曲「はじめに……」を歌おうということで人を集めたのがきっかけで、わをんにとって馴染みのある詩人だったので選びました。今まで長田弘さんのテキストに曲をつけたことはありますか? 森山さんは「最初の質問」だけ?

森山 はい。

田中 あるんですけど初演されてないです。

魚路 初めて書きました。第一印象は「書きにくい」。逆に女性の詩人が書きやすいことが多いですね。ただし書きやすい人と詩の好き嫌いは別。今回、すごく書きにくかったけど喜んでいる私がいて。こういう機会でないと自分が敬遠してしまっているものに向き合う機会がないので。私は人と何かすることが得意じゃない、一人でこもっているのが好きなタイプなんですが合唱を書く時だけは誰かと共同作業をしている気持ちを持っている。器楽を書いている時は自分の世界で私のルールによって世界が構築されている(孤独な)王様気分なんですが、合唱をしている時だけは作家の方と私が何かを共作しているという意識を勝手に持たせてもらっているので。この貴重な機会、苦しみながら喜んで書きました。

森山 僕は何度もいつか書きたいと思っていたんです。詩集を眺めては「今回は無理」ってずーっと思っていた。意外と歌にするのを拒むような言葉遣いのテキストなので難しいなあと思って。「最初の質問」の時に長田さんの詩に対して突破口を見つけて、「これは書ける!」と思うようになりました。そこで詩と自分の作風のどこに接点を持つかみたいな感覚を一回作れていたので、今回はあまり困難は感じなかったです。

名田 私も初めてで。色々詩集を買って読んだりして。すごく憧れのある好きな詩人ですけど、今回の流れで書くには長田弘の中でもどれなんだろうという視点で探しました。幾つか候補を絞って音楽的にも試してみて「冬の金木犀」になった。あの詩のフォントから受ける印象や、視覚的な文字の並べ方が面白いなあと思って。それをどういう風に音として反映させるか、自分が試されている感じがしました。

田中 以前書いた曲はブレスが難しくなってしまって。とても息遣いが印象的な詩人かなと。

魚路 私が書きにくいと思ったのもその辺かも。

田中 “赤と白の山茶花が咲きこぼれる”の「ア」、“どこまでもどこまでも”の「オ」、息の量が多い。たとえば谷川俊太郎さんは「イ」。谷川さんは 「イ」 の詩人なんですよ。長田さんは「ア」とか「オ」とかオープンな母音の詩人だなと思って。それがわかって、こういう風に 3 曲が来て、どういう風にできるかなと。ちょっと楽しみにしているところです。

三好 長田弘さんの特徴ってざっくりいうと句読点が多い。しかも、ん?ここが点なの?みたいな。句読点、改行、もしくは連というものって、作曲の中で可能であれば活かそうと考えられていると思うんですが、いかがでした?

魚路 普段は構造を決めて書かないで最初からつらつら思いつくままに書くタイプなんですが、合唱だけは詩によってフォルムが見えているので構造を考えて書く。見えている改行、句読点は必ず入れるようにしている。人が聞いて分かるレベルかどうかわからないけど、詩の持っている構造でたぶん詩人が意図しただろうと思われるものは入れるようにしています。だから私は句読点だけでなく言葉なども省略したことはないです。それを持って詩人が完全な作品として提出しておられるものを私の一存で切ってしまうのは私と彼の共同作業ではないと思ってしまうので。私と彼が誠意を持って共同作業するという意味で、あるものはそのまま必ず使いたいです。

森山 僕はこだわらずに作曲する。詩人の作った三連でてきている詩を扱っているけど三つのセクションになっていない、だけど曲としては素晴らしい、というものもあると思う。句読点も同様。たとえば「青い」という単語があってそれを「あおーーい」って旋律にしたらそれはもう詩人が持っていた呼吸とは違う。その「あおーーい」が美しくて必然性があれば呼吸が変わってもいいってことならば、句読点もそのとおりにしなくても詩のスピリットを伝えているのであればいいかなと。まったく無視するわけにはいきませんけど、そこは作曲家に委ねられている。それに読点が多い詩人の場合、歌をそのとおりにすると音楽がぶつ切りになってしまう。でも読点があるからダメな詩とも思わないし、曲を書きたくないとも思わないので、そこは流動的に考えます。

名田 長田弘さんの詩の場合、何回も見たり読んだり音楽にすることをイメージしてみたりする中で、この詩の中のここの一文、みたいなものがあまりはっきり視覚的にあらわれてない感じ。結構埋まっていたりする。でもそれが自分の中ですごく濃く感じてきたりすると、そこを音楽的に大事に作っていこうかなと。自分の中で消化していく作業を通して音楽的に決まっていく感じですね。

三好 これから書く田中さんは?

田中 詩の本来持っている構造と曲が持っている構造は同じでなくてもいいかなと思っています。音楽が鳴っていることを想定しているような詩って、音楽が好きだった詩人にはあるにはあるし、そういうものにリスペクトは必要だと思うけど。僕は作曲する時に口に出して読むことが多いんですが、そこでリズムをみつけて、こういうリズムだったら遊べるとかこういうリズムがあるならこういう旋律線や流れができるとか、読みながらリズムを発見していくことが多いので、必ずしも曲が詩の持っているリズムと一致せず、再構築されていることが自分の中でも多い。今回もそこまで長田弘さんのテキストが持っている点やマルにはこだわらないです。

6.詩に対するこだわりについて

三好 新実さんの『幼年連祷』を僕の後輩がやった当時、神保町の詩集専門の古書店に行ったら初版本があったんですよ。「幼年連祷」と第二詩集「夏の墓」が両方あって、片方が白い箱の中に黒い本、もう片方は黒い箱の中に白い本で、装丁のこだわりや開けたページの活字の感じに衝撃を受けて、この姿そのものに意味があるなあと思うようになってから詩集として詩と対峙する時の感覚が変わった。長田弘さんに限らず詩集や詩に対するこだわりがあれば。

田中 今年の春に、文月悠光さんの詩に作曲させていただきました。作曲させてくださいとお願いしたところ、文月さんから「歌が乗るようなものに近づけたい」とリライトの打診があった。しばらくして、縦書きでフォントや文字組みや余白の取り方が細かく指定されているワードファイルが届いてびっくりしました。詩人がこの段階でここまでこだわっている心意気を感じた。その詩が最初にどういう形で目に見えるものであるかというのは、常に気に留めておきたい。

名田 詩集の装丁やサイズ、フォントから受ける印象やレイアウトの取り方など、もちろん詩の中味もですけど何となく自分がピンとくるかこないかは感覚に委ねていて、いいなと思ったらすぐ使わなくてもとりあえず買っておこうと。

三好 詩集と楽譜は見つけたら買え、ですね。「ぽえむ・ぱろうる」みたいな詩を専門に扱って詩のことを分かっている書店員さんがいる場所がなくなっちゃったのはとても残念。

森山 僕は可能な限りフォントの情報から離れる。作曲する時は詩集そのものをピアノの上に置かないで、該当の頁をワードで横書きでベタ打ちして……。その頁だけコピーする時も、白い紙ではなく水色やピンクの紙に印刷してそれを置いて作曲する。僕は視覚芸術の専門家じゃないので、ぱっと見た時に吸い寄せられた自分の感性も一回疑ったほうがいいと思っていて。見た目の印象に寄りすぎるとちょっと危ういと自分としては感じています。知らない間に何かの罠にはまっていくというか。だからわざと無味乾燥なワードのフォントに打ち直すことでテキストのむき出しの姿に触れたい。詩人は怒ると思うんですけど。

魚路 私もワードで打ち出す派。視覚情報があればあるで尊重したいし、たとえば前書いた山村暮鳥の「いちめんのなのはな/いちめんのなのはな」、あれは視覚上にそれが並んでいることで花畑が紙というキャンバスの上に広がるみたいな印象を音楽に乗せたいと思いますけど、構成を考える上では直接紙に書き込みたい派なので、テキストをワードで打ち直して本から離れた時点で構成する。本は尊重しますけど、いざ書く時は離れますね。

7.今回の自作について

三好  1 曲目「猫のボブ」から。

魚路 企画の性質上、多少無茶をしても面白くやっていただけるという期待があって書きました。私の中で長田弘さんは「生か死か」みたいなことを言う時と、動物系というざっくり 2 つの分類があったのですが、生か死かみたいなところにあまり投げちゃうと後の展開がつらいかなと。それで動物でありつつ生か死かに通じるところで「平和」をテーマに選んだ。

三好  1 曲目、しかも色々な人たちが次にそれを手に取ってある種手を加えていく中で意識されたことは?

魚路 キャラがはっきりしているほうが後の人が何か拾いやすいかなと思って通常の「The 合唱」だけでなく、ブルースやスキャットを入れてみた。皆さんに少しでもオープンハートなつもりでポピュラリティーを特徴にしました。あとは、書きたいことの 8 割を削って物凄く音を減らした。

森山 三好さんの心の声を代弁していい? 削ってこんなにあるの?と思ったでしょ。

三好 いやいやいや。思ったけど(笑)。

魚路 指って10本だっけ?人ってなんで二つ声が出ないのだっけ?と時々思う。

三好 斬新。

魚路 現実に演奏可能な形にいかに削るかということでものすごくシンプルに書きました。

三好 ブルージーですごく重要なところがハイライトされてくる作品で。“ほんとうに意味あるものは”のア・カペラに行く前のあの間もとっても大事。「動」と「静」がはっきりしている。では森山さんはどんな選択をしたのかな。 1 個目の点があって 2 個目の点があるとそこに方向性ができる。 3 つめが決まると角度が決まる。 2 番目は動物という視点なのか色なのか“平和って何?”という問いかけなのか、どんな点を置くかしらと。

森山 魚路さんからバトンをもらった時「あれ? 思いの外難しいな」という印象を最初に受けました。僕はもう少し低い難易度の曲を想定していたので。僕の書く 2 曲目は単曲で取り出して東京都合唱祭で初演するということもあって、起承転結の承をやると同時に単独で舞台に乗せて聞き映えがないのはまずい。1 とか 4 だったら単独で演奏できる色が強いけど、 2 で単独で出すには難易度をうまく設定しなければいけない。 1 の難易度よりは落として、でも聞き応えを保つ、というか。しかも次に好きにやってもらう道を残さなきゃいけない。 2 と 3 は組曲の中で役割が入れ替わったりすることがあるから、私が何をやって名田さんに何を残しておくのかという問題もある。どっちが何をやったらお互いの曲が映えるのかなと考えて、速くて短い曲をさーっと駆け抜けて終わるのがいけると思った。私自身、速い曲を書くのが好きですし。あと、「平和」という政治的なテキストのボールは絶対に受けなきゃいけないと思ったので、「シシリアン・ブルー」の中にある「文明」という言葉で受ければいけると思って。そうすると後ろの人は大きな問題に取り組む余地がある。

三好 そういう意味でいうと「色」を引き継いだ気がしたし“文明とは何だ?”という人の今のありように対する問いかけも突いてきた。“赤と白の山茶花”や“緑の垣根”ってすごく言葉として我々の生活の中で密接している風景なので色鮮やかにその姿がうかぶ。「シシリアン・ブルー」が来た時に、色なんだな、という気はしたのね。その中の音楽的な仕掛けとして沢山出て来るものの色を全部違う和音で示したというところとかね。意図的に引用した部分や音楽的に関連付けた部分についてお話してもらっていいですか?

森山 文字通り“平和って何?”を引用しました。「平和」「文明」で平和のテーマを引き継いでいるのがはっきりと分かるように。厳密には同じ形ではないですけど。あとこれは引用とは違うんですけど、魚路さんの曲を見ていわゆる分数和音、ベースがCで上がGm7みたいな和音が結構いっぱいあると思って、僕も分数和音を多くしました。音数に比べると音を取るのが難しいですが。分数和音って合唱の人が慣れている和音の積み方とちょっと違う。ベースラインがGで上がF-durでソファラドってやると、ソの上にレがないので 5 度をはめてから積むというのが難しい。そういう和音をちょっと多くしている。普段自分が書く時にはなかなか書けないけど魚路さんのバトンを受け継いだからそういう和音をたくさん使った曲を書いても面白いだろうと思って。ほんの少しですけど難易度の高い和音も入れちゃおうと思って書いた。

三好 そんなちょっとした種明かしもありつつ名田さんがどんなことを意識したかお話しいただいて良いかしら。

名田 まず魚路さんの曲は詩の中にちゃんとシリアスなテーマがあって、だけどシリアス一色ではなく遊び心があったりユーモアがあるような飾り付けがあったり色んな要素を含む素敵な曲だなあと思って。その後に森山さんが「シシリアン・ブルー」の詩を選んだと聞いた時は、この詩で森山さんが書くとなるときっと速いテンポで、あの……。

三好 ばれてるね(笑)。

名田 爽快な楽想の中にきちんとシリアスなテーマを感じさせる曲になるんじゃないかなと勝手にイメージしていて。そしたらやっぱり色彩が浮かぶような推進力のある曲が来た。難易度的には確かに 1 曲目より少し下がったかもしれないけど、音楽の持つエネルギーは 2 曲目はすごく高い。皆の温度が高くなるような曲だったので、私はちょっと落ち着けようと思った。華やかな曲ではなく、内面に思いをためてそれが静かに伝わるような曲がいいかなと思って。「冬の金木犀」も“金色の小さな花々”や“緑の充実を生きる”など色を入れつつ“実を結ばぬ木”という言い回しがあって、平和から文明と来て、何か「生きていることの意味」みたいなことが組曲全体のたっぷりとしたテーマとして浮かび上がってきて。生の自由というのは行為ではなく存在なんだ、というところが素敵だと思って選びました。音楽的にわかりやすい引用はあえてしなかったんですけど、全体の大きな枠を外れないよう、何となくつながりを感じさせる意味では、 2 曲目のピアノの最後の音を受け継いで、同じ音から始まるっていう風に……。C-durで終わって私はa-mollから始まるんですけど、陽が当たった色彩的なところから影が差して同じ音から引き継いで違う景色に行くことを考えた。前半は少し内向的で静かな感じですが、短調のハーモニーや半音の動きがほのかにボブのレトロでジャジーな色合いで、全体的に 1 曲目のカラーをふと思い出すように。曲が進んで、“冬から春、そして夏へ、”というところは、疾走感を持たせて日陰から少し明るい世界に希望を持って最後の曲にバトンを渡す形になればいいなと思って書きました。

三好 3 曲目の名田さんの作品は駆け出していくエネルギーの中でふと立ち止まるようなある種の間奏曲的な要素がある。とても優しいバトンの渡し方って気はする。さて、これはもう好き勝手で予想でもいいんだけど、田中達也がこれからフィナーレを書くにあたり期待することを聞かせてください。

森山 僕が組曲を書く時に気にするのは拍子の多様性が組曲の中に確保されていることです。魚路さんの曲はア・カペラのところ 3 拍子だけど、12/8でしたっけ、で、私が4/4で。名田さんも4/4。

名田 それを変えようと思ったんですが、結局こうなって。拍子感は一緒ですよね……。

森山 何が言いたいかというと3/4と6/8が両方残っているんですね。これらを誰がもらうか問題があって僕はパスした。でも名田さんも4/4だから、 3 系の拍子が残っている。田中さん 3 系の拍子得意じゃないですか。

田中 ああああああ、たしかに。そうかもしれない。うん。

森山 3 拍子系のフィナーレ来るかもね。少なくともここで田中さんが普通の4/4で書いたら、あれっ?てなるよ。

三好 おおおお。

森山 付き合い長いからね。

田中 もうなんか……。

名田 私はピアノをどう書くかということもいつも考えるので、ピアノの扱いが驚くものになれば面白いかな。

三好 組曲 4 曲あってア・カペラがあるとしたら 2 か 3 のどっちかに入ることが多くて、どういう選択をするかしらと思ったら魚路さんと森山さんはメッセージのところにア・カペラを置いて、名田さんはあえて全編にピアノが入ったね。ピアノは手を止めるところはあっても音のないところはない状態で来て、さて終曲にア・カペラという離れ業も……。逆に言うとア・カペラは残されている。 3 拍子系も。

森山 意外とみんな気を使いましたよね(笑)。

魚路 スタンダードを残していったよね。端っこから齧っていくようにはした……。田中さんは唯一 3 曲全てを合唱団員として歌っているから、外から見てるだけではわからない組曲の本質が見えているんじゃないかと思う。それを聴きたい。

三好 彼は唯一今でも合唱の歌い手だからその良さもきっと出て来ると思います。色んな話を聞きつつ終曲に向けて雑感を……。

田中 終曲を書くと決まった時からずっと、この組曲の最後の音が鳴り終わった時にお客さんが「ここ」に戻って来る、聴いているホールの椅子に戻って来る曲を書きたいなと思っているんです。こういう 3 曲が来て、僕の曲も何らかの飛躍を含みながら。「ここ」に戻って来るための要素って何だろうと思いながら、もしかしたらそれは人間というテーマと絡めた時に人間のエゴをあぶり出すようなものなのか、それとも人間への赦しのようなものなのか。でも最後は聴いている人のところに戻って来たいと思っています。

三好 どの 3 つも風景がはっきり見えるテキストだと思うんです。山茶花の垣根、シチリアの風景、空の青さ、水の透明感、断崖絶壁、フェニキア人の砦、金木犀の咲く風景。日本的であり、ヨーロッパ的であり……。

魚路 変なこと言っていいですか? 犬とか入れるのはどうですか? 誰か動物を継がないかなと思っていたんですが。あひる先生だし。「わをん」だし。わをーん!って。

田中 僕……猫派なので。

三好 たまたま「わをん」の創団のきっかけになった「はじめに……」のテキストで、宇宙の中に人がいて、人間とは何だろうという問いとともにある……。そういう意味で今回の組曲で選んで下さったテキストとも結果的に親和性がとても高い作品。もともとコンサートのアンコールに「はじめに……」というアイディアまでは固まっていたんだけれど、すごくいいつながりになりそうです。

おわり ▽・x・▼

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